熊本市議会 2022-06-15 令和 4年第 2回定例会−06月15日-03号
しかしながら、もともとが湿地帯であり、沼地のような状態の区域が多く、そのまま何かしらの利活用を行うというのは非常に難しい状態です。また、中央、清水のまちづくりセンター地域担当職員の方も会議などに参加されていますが、コロナ禍の影響もあり、なかなか効果的な活動の推進が難しい状態でもあります。
しかしながら、もともとが湿地帯であり、沼地のような状態の区域が多く、そのまま何かしらの利活用を行うというのは非常に難しい状態です。また、中央、清水のまちづくりセンター地域担当職員の方も会議などに参加されていますが、コロナ禍の影響もあり、なかなか効果的な活動の推進が難しい状態でもあります。
出水7丁目付近は、以前は一面水田地帯の湿地帯でした。水はけが十分でない水田地帯に五、六十年前に戸建ての住宅団地が開発されました。住民の皆さんは、その地域に住み続ける上で、昨年の豪雨による浸水体験で今年も浸水がないかと心配されております。 今後も住み続けられる住民の皆さんが安心される対策をお示しください。
湿地帯は非常にすばらしい自然に囲まれています。 これを書かれているみどりの基本計画、これは本年策定されたわけであります。改訂されたわけでありますけれども、札幌市水環境計画、これは平成15年策定のものであります。目標年次は平成29年ですよ。もう過ぎていますよ、これ。 それから、水辺の維持管理の扱い、これを全部見ましたけれども半ページだけ、取り上げられているのが、僅か。
この順天市にはドラマの撮影上の映画村がありまして、何といってもナベヅルが1,000羽飛んでくると、韓国で最も自然の豊かな田園地帯でありまして、韓国で最初のラムサール条約に登録された湿地帯があります。ここの国際庭園は実に見事な、5,000人が入れるというところでありまして、韓国政府が韓国を代表する環境先進都市として順天を選んだものと思われます。
谷を埋め立てた里塚地区、それから、先ほど出ていた清田通も、地域的に言うと貨物ターミナルのある大谷地など、昔はいわゆる湿地帯で、馬も田んぼの中に入って開墾できないような泥炭の深いところでした。 そこでまず、お尋ねしたいのは、わかりやすく言うと、地下鉄のところで陥没しました。陥没したということは、下の埋め戻した砂がどこかに移動するわけですね。移動したこの砂は、東区で言うとどこに行きましたか。
ところが、サクラソウの生育する環境は湿地帯が好ましいとされています。公園の乾燥化がサクラソウをここまで減少させた要因の一つであることは否めません。
これは、札幌市が、昭和30年代から40年代にかけて、下水道が十分に整備されていないときに、湿地帯にし尿を投棄し、そこにごみを埋めて、その上に覆うための土をかぶせるという処理をした場所であります。この場所については、るるありました。
まして当該地は、昔は湿地帯みたいなところであるというのも聞いていますし、また、本当に数少ない市内に残された公園緑地の中にあるものになりますので、その辺のところは非常に大事な視点だと思うんですが、それについて、今までどのような経緯があったのかも含めて御報告いただきたいと思います。
西区の穂積、峰岸、指扇領辻地区の児童は、黄色の部分ですけれども、ふだんは緑色の道路を通って指扇北小学校に通学していますが、この道路は一部湿地帯の中を通り、周辺は常時水が満ちている状態であり、少しの雨でもこのように道路がすぐ冠水している状態であります。児童は20分以上の時間をかけて、先ほどの赤の部分の道路を大きく迂回し、通学している状況です。
というのは、先ほど申しましたように、井土浦もそれから西側にできた部分もどんどん隆起することによって、一時期、湿地帯になったところが湿地帯じゃなくて乾いてきている、井土浦も砂だまりが多くなって水辺が少なくなってきていると、こういう状況をしっかりと観察して、そのことをもとに、先ほど言った藤塚地区や井土浜地区の公園整備にしっかり生かしてもらわなければならないと思いますので、ぜひこの点について建設局を中心に
丹後堰公園は、江戸時代に干ばつに苦しむ農民のために用水路を建設した布施丹後常長の功績に由来する歴史ある公園でありますが、この間、市民の方から、湿地帯があるんですか、ちょっと草が生い茂り過ぎじゃないかとか、管理がちょっと行き届いていないんじゃないかと、そんな御意見が寄せられています。
8: ◯鈴木勇治委員 まさしく今次長からお話がありましたとおり、ぜひ自然と共生するというところを全面的にとは言わないですけれども、やはり忘れてはならないところだと思いますし、具体的には蒲生干潟とか、あるいは貞山堀の海との間のところの湿地帯とか、そういったものがあったわけなんでありますし、また、西側に行けばいろいろな開発が進んできているという中で、猛禽類そういったものの大切さということも忘れがちになっているんじゃないかというふうなこともありますので
それから、もう一つ、これはこの前、ちょっと地元の方に言われたんだけれども、40年、45年前は、ずっとあの辺は田んぼと湿地帯で、下にそういうのをみんな埋め込んだらしいんです。
とりわけ、既存の道路を拡幅するのと違い、新設ですから、そこにどういう生物がいるのか、どんな植物が生息しているのか、特に湿地帯でありますからもっと慎重にしていかなければいけないと思います。
101ページのあさはた緑地の整備事業ですけれども、これは本当に市街地の中に貴重な湿地帯というか、残されているところで、随分と時間をかけてというか、時間がかかっているわけですけれども、このあさはた緑地の整備ということで、今、第1工区の整備事業が行われているわけです。 先ほどからいろいろ伺っていて、市の考え方として、これからいろんな事業を行うときに、やはり地域の人たちが主体で整備していく。
その斜面林にある湿地帯で、市民団体が取り組んだ活動の中で、蛍の自生が可能な場所であることが判明しました。そこで、蛍の観賞地ともなるような水辺環境の整備についてお伺いいたします。 ○加藤得二議長 都市局長 〔都市局長登壇〕 ◎配島豊志都市局長 御質問の2 岩槻まちづくりマスタープラン実現に向けて、(2) 旧岩槻区役所敷地の活用についてお答えいたします。
加曽利貝塚に隣接する坂月川は泥炭湿地帯で丸木舟など木製品の遺物があると言われています。こうした遺跡群の中心に加曽利貝塚があります。1994年3月に縄文の森基本構想が発表されています。この計画は、加曽利貝塚を中心に野外博物館、フィールドミュージアムとして整備するものです。
江戸初期の1604年に伊達政宗公が仙台城を築き、その後、大きく発展してきた仙台ですが、東部地域はその当時ヨシやススキなど繁茂する湿地帯で、原野であったと言われております。政宗公の命によって新田開発が奨励され、湿地帯であったこの一帯が開墾され、広大な水田にかわりました。そのためには用水路、そして排水路をつくり、治水を行ってきた苦労の歴史があります。
この木幡池のうち特に大半を伏見区が占める北池ついては広範な湿地帯で,野鳥観察の地元専門家の話では,オオタカ,ハヤブサなど7種類の猛禽類をはじめ約90種類もの野鳥が確認されており,正にまち中に残る大変貴重な野鳥の宝庫となっています。
徳川家康のころからこの地域は浅畑沼といって、10年に1度か20年に1度、米が収穫できるかどうかわからない湿地帯でありました。なお、この「あさばた」は麻機遊水地の麻機ではなく、浅い畑と書いて浅畑沼という昔からのところであります。 先般、静岡古文書研究会から「新川事件の真相」という本が出版されました。